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東京高等裁判所 昭和56年(う)1933号 判決

被告人 大森浩一

昭三六・二・六生 会社員

主文

原判決を破棄する。

本件を千葉地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人吉沢功、同海野寛康連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官窪田四郎作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

なお、弁護人は、控訴趣意第二は、原審が訴因変更手続を経ないで原判示第一の事実(以下単に原判示事実という)を認定したことが、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反にあたる、との趣旨である旨付陳した。

控訴趣意第一(審判の請求を受けない事件について判決をしたとの主張)について

論旨は、原判示事実について、検察官が、主たる訴因及び予備的訴因を通じ、「被告人の過失により、日野岡重夫に被告人運転の自動二輪車を衝突させて死亡させた」と主張して審判を求めたにもかかわらず、原判決は、被害者と自動二輪車との衝突の事実を認めず、新たに「被告人の過失により、被告人運転の自動二輪車を日野岡の直近に進行させたため、同人をして接触の危険を感じさせたうえ、狼狽のあまり駆け出させ、その弾みで路上に転倒するに至らせて死亡させた」旨訴因とは異なる事故態様を認定判示しているのであるから、原判決には、審判の請求を受けない事件について判決をした違法があり、刑事訴訟法三七八条三号後段により破棄を免れない、というものである。

そこで記録を調査して検討すると、本件は、被告人が、昭和五四年一二月二日午前一一時五分ころ、自動二輪車を運転して、中央にグリーンベルトがある国道一四号線の片側三車線のうち第一車線を千葉市幕張町方面から習志野市方面に向け、先頭車として毎時四〇ないし五〇キロメートルの速度で進行していた際の事故についてのものであるが、検察官主張の主たる訴因は、そのような場合、自動車運転者たる被告人としては、「前方左右を注視し進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、身体を前向きに倒し前方注視不十分のまま漫然前記速度で進行した過失により、折から道路を右方から左方に向かつて横断歩行中の日野岡重夫(当時六〇年)を約七メートルに迫つてはじめて発見し、右方に転把して同人との衝突を避けようとしたが及ばず、同人に自車を衝突させて路上に転倒せしめ、よつて同人をして即時同所において、後頭部挫創等に基づく頭部挫傷、脳損傷により死亡するに至らしめた」というものであり、予備的訴因は、「前方左右を注視し、横断者の有無を確認し、横断者を認めた場合にはその動静を注視し、状況により直ちに停止措置を講ずるか減速徐行して同人に危険を感じさせ狼狽のあまり不測の行動をとることのないよう、同人と十分な間隔をとり安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、身体を前向きに倒し前方注視不十分のまま漫然前記速度で進行したため、折から前方車道を右方より左方に向け横断歩行中の日野岡重夫に気づかず、同人と約七メートルに接近し、はじめてこれを発見したが、同人が安全に横断し終えるものと軽信して僅かにハンドルを右に切つたのみで同人の右側直近を漫然同速度で進行した過失により、同人に危険を感じさせ、狼狽転倒させ、その際同人に自車を衝突させ、」よつて同人を受傷、死亡させた、というものである。これに対し、原審は、訴因変更手続を経ることなく、被告人は、「先頭車として走行中であつたので、自己の進路上を横断する歩行者の有無など進路の安全を確認するため、前方を注視して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右斜め前方からの強風を避けるためやや前傾姿勢になり、目にほこりが入つたことに気をとられ、前方注視不十分のまま進行した過失により、おりから右方から左方に向け横断歩行中の日野岡重夫が、自己の進路よりやや右寄りの前方約七メートル余の地点に来ているのに初めて気付き、同人との衝突を避けようとして、ようやくハンドルをやや右に切り、同人の後方約〇・八ないし一メートルの地点を回り込んで進行したため、同人をして接触の危険を感じさせたうえ、狼狽の余り駆け出させ、その弾みで路上に転倒するに至らせ、」よつて同人を受傷、死亡させた、と認定判示したことが認められる。

右各訴因として掲げられた事実と、原判示事実とを対比すると、いずれも同一事故に関するものであり、前方不注視の過失及び日野岡の受傷、死亡という結果は変ることがなく、ただ両訴因が同人の受傷、死亡の直接原因を同人と自動二輪車との衝突とするのに対し、原判示事実は両者の衝突を認めず、自動二輪車の直近通過行為と日野岡の受傷、死亡との間に、右直近通過行為による日野岡の「駆け出」した行動及び「その弾み」による路上への転倒という、同人自身の二個の行動を認定しているところに差異が認められる。

ところで、右のごとき訴因と原判示事実との間の差異は、重要ではあるけれども、なお同一構成要件内における過失と結果との間の因果関係の一部についてのものにすぎないのであるから、とうてい原判示事実が訴因と異なる罪を認定したと見ることはできず、従つて、原審が審判の請求を受けない事件について判決をした、ということはできない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二(訴訟手続の法令違反の主張)について

論旨は、検察官並びに被告人及び弁護人(以下被告人側という)とも、被告人運転の自動二輪車と日野岡重夫の衝突の有無を中心に争つてきたのであり、もし原判示認定のごとく衝突の事実がなくとも有罪になり得ることが審理の過程でうかがい知り得たならば、被告人側は更に防禦を尽す余地が十分であつたのであり、従つて、原審がこれを無視して訴因変更手続を経ないまま原判示事実を認定したことは、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反を犯したものである、というのである。

そこで、訴因変更手続の要否について検討すると、本件においては、前段説示のとおり、主たる訴因及び予備的訴因に対し、原判示事実は、その過失と結果との間の因果の過程につき、一部とはいえ、衝突の有無という重要な点に関し、その認定を異にしていることが明らかである。そして、右衝突の有無についての相違は、日野岡の受傷、死亡という結果に至る因果の系列として、同人自身による、前記のような二個の行動を認めることの適否の問題を生じ、これがひいて被告人の過失責任の有無、程度に影響を及ぼすと考えられるから、そのような部分について、訴因として明示された因果関係を認めず、それとは別の態様の因果の過程を認定するには、被告人側に防禦の機会を与えるため、訴因変更手続を要するものと言わなければならない。

原審における審理の過程に照して見ても、検察官は予備的訴因を第一一回公判期日に追加したものの、当該期日における論告においても訴因どおりに自動二輪車と日野岡の衝突を主張し、被告人側も終始両者の衝突を否定して無罪を主張し、その防禦活動は、専ら衝突の有無を中心に展開してきていることが認められ(弁護人の弁論中には、自動二輪車に衝突しない場合を想定しての日野岡の行動について言及した部分があるが、右は両者が衝突していないことを主張するためだけのものにすぎない。)、もし原判示事実が訴因とされたならば、被告人側としては、なお、自動二輪車の日野岡への接近の程度が同人をして接触の危険を感じさせるほど切迫した関係にあつたか否か、グリーンベルトから第一車線付近に至るまでの同人の横断状況に照し、自動二輪車の接近により狼狽のあまり同人が駆け出したとする認定が可能か否か、同人がサンダル履きの足をすべらせたことが、「その弾みで」路上に転倒させたと言い得るか否かなど、その防禦の範囲、主張立証における重点の置き方などが自ら相違するに至ることが推認される。

それにもかかわらず、原審は、第一一回公判期日において予備的訴因の追加を許したほかは、何ら原判示事実に副う釈明をする機会を与えることなく、同期日において審理を終結し、判決に至つており、原判示のような事実認定は、被告人側にとつて十分な防禦の機会を与えられないままなされたものと言わなければならない。従つて、原審が、訴因変更手続を経ることなく、訴因とは異なる原判示事実を認定したことは、結局、訴訟手続を誤つたものと言うべく、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。そして原判決は、原判示事実のほか判示第二の事実(業務上過失傷害)を認定し、両者を刑法四五条前段の併合罪として一個の刑を言い渡しているので、その全部について破棄を免れない。

よつて、その余の控訴趣意(事実誤認、量刑不当)に対する判断をするまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、本件についてさらに審理を尽させるため、同法四〇〇条本文により、本件を原裁判所である千葉地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 草場良八 半谷恭一 須藤繁)

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